失敗とは何をもって失敗なのだろうか。
目的が不明確で
短期決戦や長期決戦の目論見が無く、
作戦における代案や修正の幅が狭く、
技術やノウハウがその人しかできず、
システムや数字(事実)ではなく人間(感情)だよりで
改善の評価が動機や工程で決まることを
失敗と呼ぶのだろうか。
なぜ勝負したのか?
というのは失敗として問うべきではない。
なぜなら、どうしても勝負しなければならない時は存在する。
できる限り有利な条件で戦いに持ち込むための準備を怠るのは失敗だが、
それでも戦わなくてはならない時があるのだ。
ならば、私たちにできることは
日々の生活に関心を持ち、起こりくるであろう事態に
自分なりに備えることだろう。
負けない確率を増やす対策の重要性は、
紀元前から論じられている。
その結果が目を覆いたくなるような状況であったとしても、
保険や代案を用意し、それでも向き合わなければならない。
たとえ、白いアイツを実家に取られてしまっても…。
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